カメラマン今昔物語 フィルムからデジタルへ
富士山麓でお世話になったカメラマンの皆様、それぞれの愛機
富士山の写真が現在インスタグラムなどのSNSが火付け役となり大変人気がありますね。ここまで人気のある風景写真って他にはないかと思います。 ある意味老若男女ってこの富士山写真でしょうか?私が富士山撮影を始めた頃は今から28年も前のことでした。1995年の頃でしたね。・・・年齢はまだ30歳前でヤングです(死語)。この言葉を使うにも理由がありまして 山麓で知り合った名古屋富岳会の柴田さんという方からヤングと言われてました(笑)。おそらく私と同じ愛知県出身で親近感を持ってくれていたんだと思います。「君はヤングだからって」・・・当時にして既に死後でした(汗)。ニコニコ笑う柴田さんは いつもお会いするとほのぼのされていてこちらもほっこりしたものです。東京へ出てきてからあまり聞かない名古屋弁が懐かしかったです。
他に山麓でお会いする方は今とは違い年上の方ばかりでした。私の年齢くらいのカメラマンをあまり見かけないんです。まあ、平日というのも多少影響があったと思います。記憶にしているお名前を 挙げると
八王子の諸角さん、デリカに乗っていて八王子から通っていましたね。当時既に80越えでしたので超がつくほどお元気な方でした。八王子で個展や写真集を自費出版されていたと思います。
富士宮の花屋のなべさん、皆さん花屋のなべさんと言いますが花屋さんではなかったようです。・・・もしかして「花と富士山」を撮影したら一番上手いので花屋のなべさんだったのだろうか?
富士宮の渡井さん、富士写連の方でした。皆さんからの親交が厚く私も色々声をかけていただき貴重なマル秘撮影情報を教えてくれました。
河口湖の流石さん、現在もお会いしますが変わらずお元気ですね。ベレー帽が似合うちょい悪オヤジですね。
河口湖町の外川さん、今は閉店しましたが河口湖のラボでよくお会いしました。「よおー!」って声をかけらえることが多かったです。今で言うちょい悪オヤジだったな。
富士の片岡さん、鉄工所の社長夫人ですが白い嶺の数少ない女性会員でハッセルブラッドをこなすカメラマンさんでした。彼女の写真は結構好きで何気に尊敬していました。
千葉の立野さん、私の富士山はこの方なしでは語れません。そのくらい凄い人です。
横須賀の鈴木のじっちゃん、本当におじいちゃんだったな。下世話な話を良くしたものです(笑)。
三国峠の尾崎さん、サニーを連れて散歩をしてる平野さん、尾崎さんは三国峠パノラマ台の主でしたね。いつも気さくに話しかけてくれました。熱心に語ると1時間以上なんて多かったですね。
他にも大勢知り合いましたが毎回、皆様親切に撮影のノウハウや撮影地情報など教えてもらいました。当時、撮影情報はベテランの皆さんを通じて教えてもらっていました。人生を生きる意味でも収穫は多かったですね。
前振りが長くなりましたが当時はフィルムカメラ全盛で現在も人気のニコンやキャノンの35㎜判一眼レフカメラが多かったです。ここ数年1番人気のソニーなんてありませんでした。所謂前身のミノルタなんですが極少数でした。 私も当時キャノンの最高峰EOS1N HSで撮影していました。ニコンF4を愛用していたのですが風景カメラマン竹内敏信さんの影響を受けて渾身の思いで乗り換えた愛機でしたね。
富士山麓に行くと日の出前から並んで撮影するのですが自分のとは明らかに大きさが違う中判カメラと呼ばれるマミヤやペンタックス愛用者が多かったですね。中判カメラがない私は影響受けまくりでした。 その頃のカメラの名前を挙げると今ではクラッシックカメラになってしまいますね。マミヤRB67、RZ67、ペンタックス67、ペンタックス645です。他に憧れの名機と呼ばれた ハッセルブラッドや4×5インチや8×10インチのシートフィルムを使用した大判カメラも見かけました。ウィスタ、トヨフィールド、カメラ界のロールスロイス・リンホフマスターテヒニカなど そんなフィルムカメラ全盛の時代もデジタルカメラが登場した頃からだんだんと衰退していきました。
当時揃えた中判カメラペンタックス67です。広角は35㎜フィッシュアイから望遠300㎜ED、ここには載っていませんが400㎜F4EDもありましたね。
銀塩カメラの話
デジタルカメラが普及するまではフィルムを使用する銀塩カメラが数多く発売されていました。例えばライカのようなレンジファインダー式カメラ、ニコン、キャノン、ミノルタ、ペンタックス、オリンパスなどの一眼レフカメラなどです。 他には中判カメラ、大判カメラです。写真はブローニーフィルムを使用するハッセルブラッド503CXi
ハッセルブラッドの記事はこちら
今はカメラを買うと同時にメモリーカードが必要ですが当時はパトローネと呼ばれる35mmフィルムやロールフィルムと呼ばれるブローニーフィルムをカメラに装填して撮影をしていました。
撮影をする前にフィルムをカメラにセットしなければいけなく撮影するまでのハードルが少々高くそれだけで購入を躊躇う方も多かったと思います。
各カメラメーカーはフィルムを装填しやすいように工夫をしていました。
フィルムを入れた後は絞りとシャッター速度を決めシャッターを押すのですが出来上がりがどんな風に仕上がっているかわからず現像までドキドキしたものです。
写真はニコンF2フォトミックA
フィルムの話
撮影時に毎回思うのが、撮影後すぐに画像が見られたら最高だなと良く思ったものです。実はそんな夢を叶えるようなカメラも発売されていました。 撮影したらすぐに写真として画像が見られるポラロイドカメラです。またポラロイドフィルムを使用して主に大判カメラで撮影できるキットも発売されていたようです。露出の明暗を見る程度のもので対して綺麗でもなく、 1枚当たりの写真代金も決して安くはなく主にモデル等の撮影や日中の風景に限定された場所での使用だったようです。フィルムは品質管理が大変でした。特にポジフィルムは鮮度のある生ものといわれるくらい温度管理がシビアで冷蔵庫保管が基本でした。同じフィルムでもロットナンバーがあり生産過程の違い? などロットナンバーの固有番号が振られていました。微妙に色が変化するため同一のロットナンバーのフィルムを使用して撮影するプロカメラマンが大勢いました。
フィルムの種類についてですが大きく分けて白黒とカラーの2種類あります。またカラーフィルムにはポジフィルムとネガフィルムがありました。両社の違いはネガフィルムはプリント時に明暗の補正や色の補正が容易ですがポジフィルムは撮影するときに 一発勝負でした。それでもポジフィルムを選択する理由は色の再現性と鮮やかさでした。特にフジクロームベルビアは最高に素晴らしいフィルムで愛用者が多かったです。ベルビアのISO感度は50でしたが実効感度はISO40ということで 私自身もカメラへの設定はISO40に設定していました。現在のデジタルカメラの設定にISO64など拡張モードの設定があるのはその理由からだと思います。
プロやアマチュアが使用するフィルムはポジフィルムが圧倒的に多く中でもベルビアは風景カメラマンの必須フィルムでした。フジフィルムに対抗してコダックからエクタクローム100VSというフィルムもありましたが再現性の違いから 好みは分かれていました。
カメラのフィルムフォーマットについてcamera fanの記事がお勧めです。
デジタルカメラ普及前の序章
1998年12月にでデジタルカメラCanon EOS2000が198万(税別)、EOS D6000が360万円(税別)で販売されましたが恐ろしく高価で手を出そうと少しも思える代物ではなかったです。何せ高級自動車一台分ですからね。 おそらくメーカーも今の技術ではここまで出来ますよというアピールもあったんだと思います。Canon EOS D6000の仕様は以下の通り
36bitフルカラー(RGB各色12bit)
ワンショットタイプ
撮像素子サイズ=18.4 x 27.6mm
正方600万画素CCD
(有効画素数=水平3040x垂直2008画素
アスペクト比=2:3)
最大連写可能コマ数:3コマ
スピード:約1コマ/秒(1/250秒以上のシャッタースピードの場合)
このカメラで撮影した記事があるので是非ご覧ください。
2002年に衝撃的な発表?
2002年はキャノンからデジタル一眼レフカメラ、キャノンEOS D60(630万画素)が衝撃的な価格で発売されました。それまでの普及機はCanon EOS D30と呼ばれるカメラで画素数は311万画素でした。結構これは売れたようですが爆発的な売れ方ではなかったと思います。 現在は3000万から5000万画素のデジタルカメラが発売されていますが、630万画素は衝撃的な画素数でした。値段はボディ価格298000円!!それまで360万円の値段で発売されていたので激的に安かったんです。ある意味バーゲンプライスでした。私もEOS D60を購入したのですが撮影した時の画像が非常に素晴らしく鮮明だったことを覚えています。この年以降カメラメーカーはセンサーの開発と共にカメラ内処理速度やアルゴリズム、ダイナミックレンジなどを次第に改良して進化していきます。
写りも段々と良くなりユーザーの使用に耐えれるカメラが次々に発売になるとそれまではフィルムを使用するユーザーも次第にデジタルカメラへのシフトとなっていきました。
EOS D60から始まった私のデジタルカメラですがその後買い替えを繰り返し現在はニコンD810の2台体制で富士山撮影に臨んでいます。 ニコンD810の記事はこちらをどうぞ
続く・・・